年収271万円ワーキングプア寸前のサラリーマンが一人起業で1年目に年商1億円を達成した秘密を全てお伝えします。

曽篠のはずかしい過去

曽篠克行(そしのかつゆき)です。

先日、こんなメールを頂きました。

———————–
曽篠さん、Nと申します。

僕はこれまで
アフィリエイトをしていましたが
曽篠さんと同じように
全く結果が出ませんでした。

曽篠さんのメールを拝読して
人には向き不向きがあり、
僕にはアフィリエイトは
向いていないと悟りました。

これからは方向転換し
物販を始めたいと思います。

また、曽篠さんの生い立ちに
とても興味があります。

よろしければ、
これからのメールで教えて頂ければ
大変嬉しいです。

それではこれからも
よろしくお願いいたします。
———————–
※お名前や改行など修正しています

Nさんや私と同じように
アフィリエイトに取り組み
結果が出ない人はとても多いです。

私は半年間
アフィリエイトに取り組み
1円も利益を出せませんでしたが

物販では初月から
10万円の利益を出せました。

また私が物販を教えた
50代女性の田中さんも

1年間アフィリエイトをやって
数万円しか結果を出せず

大学生の娘さんからは
「お母さんの時給いくらなの笑」
とバカにされていました…

ですが物販を始めると
1ヶ月で月商97万円
2ヶ月には月商200万円を達成。

今では娘さんも一緒に
取り組まれています。

同様にアフィリエイトでは
何年も結果を出せなかったけど
物販では初月から利益を出せた
という人はたくさんいます。

これらが証明してるように
物販はアフィリエイトよりも
ずっとシンプルで簡単です。

また再現性もかなり高いです。

だからこそ、
一回覚えてしまえば
人に教えることもできますし

作業を外注化することで
自分は作業せずに
収益を出すことも可能になります。

ですからずっとあなた自身が
作業し続ける必要もなく
事業オーナーにも
比較的簡単になれます。

さて…
前置きが長くなりましたが、
Nさんからご要望があったように
簡単に私の生い立ちをお話しますね。

うちは、

・父
・母
・兄(3才年上)
・私

の4人家族で
長野県の岡谷市という
諏訪湖の近くにある
工業が盛んな街で生まれました。

小学生から高校生までは
ずっとこの地で育ちました。

■小学生時代

とにかく体を動かすことが大好きで
いつも泥まみれで家に帰り
母親に「また服を汚して!!笑」
と言われる毎日でした。

好奇心旺盛な性格で
虫や動物に興味をもつようになり

兄と一緒に帰り道にいた
トンボやバッタなどを
家に持って帰って

かごの中で育てている
典型的な田舎の少年でした。

勉強に関しては
特に親に強要されることなく

「やりたい時にやればいい」

と育てられたので
ほとんどしてません笑

そのため成績は
5段階中の2がほとんどを占め
体育や図工のみ5という状態でした。

この頃
勉強しなかったことが響いて
今でも漢字が苦手です。

小学3年生になると
2人部屋で兄と一緒に、
ファミコンで遊ぶようになりました。

また親にバレないように
よく電気を消して
真っ暗な部屋の中で
朝までファミコンをしてたせいで

視力がドンドン低下し
4年生の頃から
メガネをかけるようになりました。

■中学生時代

運動が好きだったことと
兄が野球をしていた影響で、
野球部に入りました。

毎日部活が楽しくて
小学生時代に続き全く勉強はせず、
野球漬けの毎日でした。

部活から家に帰っても
素振りの練習をしてたのですが、
この頃は、毎日父がそれを見て
アドバイスしてくれてました。

時々、父が投げた
タバコのフィルターを打ち返す
という練習をしていたのですが
これがなかなか難しいんですよね。

その結果、2年生の終わりに
レギュラーに昇格し、
3番打者に指名されました。

この時、
父が本当に喜んでくれたのを
今でも覚えてます。

でも、この直後の練習試合中
デッドボールが左手の小指にあたり
骨折してしまいました。

そのためレギュラーから外され
家族が応援にくる予定の試合には
出場することができませんでした。

この時は、本当に悔しくて
夜に部屋で一人
涙をながすこともありました。

骨折が治ると
今まで以上に練習をして
レギュラーの座を奪い返しました。

3年生になり、みんなが
受験勉強をしている時にも

「プロ野球選手になる!」

と決めて、勉強は一切せず
とにかく野球で有名な高校に
入学しました。

■高校生時代

私の実力では野球で有名な高校に
推薦してもらうことは難しく
普通に受験してなんとか入学できました。

ですが
プロ野球選手を多数輩出してる
高校だけあって中学の野球部とは
レベルが桁違いでした。

これまで
唯一自信を持っていた野球で
プロを目指せ無いと悟った私は

井の中の蛙だったことを体感して
入学からたった半年間で
逃げるように野球部を退部。

それ以降は
特に人生の目標もなくなり
勉強することもなく、
バイト生活がはじまりました。

■私の人生観を変える出来事

勉強もせず
バイトに明け暮れていた
高校2年生の頃、

市役所に勤務し
マジメを絵に描いたような父が
体調を崩して仕事を休みました。

自分自身に厳しい父だったので
ちょっとくらい体調が悪くても
仕事を休む姿は
見たことがなかったので

母からそれを聞かされた私は
「父さんが仕事休むなんて珍しいね」
と話をしていたのですが

何日経っても起き上がれないくらい
体調が悪いらしく
仕事を休み続けました。

これにはさすがに母が
普通の体調不良ではないと気付き
病院で検査をしてもらいました。

そしてそこで父は
癌だということが発覚したのです。

しかも、治療することが難しい
ところまで進行してました。

それを聞いた私の頭の中は
真っ白になりました。

私はその時まで
親が何かをしてくれることは
当たり前と感じ
特に感謝をしたことはなかったですし

父の日にも母の日にも
プレゼントをしたことは
一回もありませんでした。

でもそこではじめて

「今まで父に迷惑ばかりかけて
 何もしてあげられなかった。」
と後悔し

「いつまで生きられるんだろう?」

「これから私は父に
 何かしてあげられるだろうか?」

と考えるようになりました。

そして数日後、
父の体調が少し良くなったのを
見計らって
数年ぶりに家族4人で
温泉に出かけました。

その数日後、
父は他界しましたが
温泉で最後に父の背中を流したり
今までこっ恥ずかしくて
話せなかった話をできて
本当に良かったと思います。

■高校卒業後

高校時代に野球をやめ
勉強をすることもほとんどなく
父をなくして無気力だった私は、
卒業してから半年間以上
家の中に引きこもっていました。

さすがにこれはまずいと思った母に
背中を押されるように
アルバイトの面接に行かされ

週3日はアルバイトを
するようになったのですが、

それ以外は
テレビゲームをするか寝ているかの
半ニート生活を2年間続けました。

■20歳の頃

ゲームをして疲れたら寝る
そしてたまにアルバイトをする
という生活を繰り返していた私は、
気がついたら20歳になっていました。

本当に学歴もスキルも
何もないまま
20歳になっていたのです。

それでも私には
夢や目標はなかったので
何も焦ることはありませんでした。

そんな時、高校時代の同級生で
沖縄の美容専門学校に通う友人から

「そんな生活しているなら
 沖縄にくれば?」
と声をかけられその友人の家に転がり込みました。

沖縄では、
食費や友人に支払う家賃も
必要になったので

昼から夕方まで服屋でバイトをし
夜はキャバクラの客引きをして
生計をたててました。

時には海にもぐったり
沖縄めぐりを堪能したりと
ほんとうに楽しかったのですが
まわりの友人は
どんどん就職していくのです。

やっと焦りを感じた私は
何かを始めようと考えるのですが、
何もしたいことがありません。

そんな時に
あるテレビドラマにハマります。

それはビューティフルライフ。

このドラマは元SMAPの
木村拓哉さん演じる美容師が
主役だったのですが、

それを見た私は「かっこいいなぁ」
と感じそんな単純な理由で
美容師になることを決心しました。

■東京へ上京

普通、美容師は高校を卒業して
美容専門学校に2年間通って
美容師免許を取り、
20歳で美容室に就職します。

ですが、その時私は
23歳で美容師免許なし
という状態だったので

これから美容専門学校に通って
卒業したら5年も遅れをとります。

そこで美容室で働きながら
通信で美容学校に通い
資格をとることにしました。

ただ当然ですが全く未経験の私を
沖縄で雇ってくれる店は
1件もなかったのです。

そこでたくさん
美容室がある場所にいけば
なんとかなるんじゃないかと
安易な考えで東京へ上京しました。

すると意外とすんなり
東京都江戸川区
葛西駅の近くにある美容室に
採用されたのです。

何もなかった私でも
採用してくださった店長には
今でも本当に感謝してます。

ここでは働きながら
通信制の美容専門学校に
通ったのですが

朝6時からカットの練習、

10時~20時まで
営業時間中はひたすら
お客様をシャンプー、

営業終了後から終電までは
カラーやパーマの練習という
毎日だったので

睡眠時間は
毎日3時間程度でした。

さらに、お客さんが少なければ
昼食を食べられるのですが

土日のお客さんが多い日は
閉店後、20時頃に
お昼ご飯を食べるという

めちゃくちゃな
食生活を送ってました。

そんな生活をしながら
3年間通信の美容専門学校に通い
なんとか美容師免許を
取ることができました。

美容師免許をとった頃
働いていたお店の店長が
変わるということを機に
他のお店に移ることにしました。

この頃
なんとかアシスタントから
スタイリストになり、
お客様のカットに入ることが
できるようになりました。

私は美容師になろうと決心した時
たった一つだけ
小さな夢がありました。

それは母親の髪を切ってあげること。

それを叶えるため
スタイリストになったことを隠し

長野県から東京のお店まで
母を呼び出して、

「スタイリストになったこと」
「母の髪を切るのが夢だったこと」

を話したら、
母は泣いて喜んでくれました。

そしてこの時
店長をはじめスタッフの方々も
手伝ってくれました。

これをきっかけに
店長とお付き合いすることに
なります。

このときの店長が今の妻です。

■30歳になって

30歳になった頃には
美容師としての経験を重ね

普通に生活出来るだけの
給料になりましたが
将来には不安しかありませんでした。

というのも、
男性美容師は年齢を重ねると
流行にうとくなったり
女性受けが悪くなるので

特別なスキルがある場合を除いては
指名のお客さんが減ってくるのです。

そのため40歳までに
自分のお店を持って
オーナーになるのが一般的です。

ですが、お店を出すためには
少なくとも1千万円以上の
開業資金が必要になります。

私はこれまでに数名の先輩が
独立して開業している姿を
見てきたのですが

そのほとんどが
大きな借金を返すためだけに
働き続けていました。

ですから

「そんなリスクのあること
 怖くてできない」
と考えていたのです。

そして、33歳の時に
10年間働いてきた美容師を辞め
サラリーマンへの転職を決意します。

■企業への転職

職務経歴としては美容師しか無く
33歳の私を採用してくれる会社は
なかなかありませんでした。

「どうにかしなければ!」

と気持ちだけは焦っていたのですが
いつまでたっても
転職先が決まりません。

当時、私は彼女と
同棲していたのですが

毎日ニートのように家にいる私を
美容室の店長として働いている
彼女は嫌な顔ひとつせずに
支えてくれました。

私は無収入だったので
経済的にも精神的にも
支えてもらっていて

今考えるとヒモと言われても
おかしくない状態でした。

それから半年後、
にやっと転職先が決まったのです。

彼女は自分のことのように喜び
就職祝いにとスーツを
買ってくれました。

いつも支えてくれているのに
ここまでやってくれた彼女には
本当に頭も上がらないくらい
感謝の気持ちが一杯で

「本当にいつもありがとう!
 これから頑張るね!!」
と伝えたのですが…

実際に出勤すると
想像とは全く違う世界が待っていました。

■就職先にて

私が就職したのは、電話営業で
ソーラーパネルを契約する
テレアポの会社だったのですが、

なぜか出社初日には
会社ではなく

家から2時間以上かかる
神奈川県の山奥にある
一軒家にいってくれと頼まれました。

何をするのかも
全くわからなかったのですが

初出社の日、朝5時に起きて
彼女が買ってくれたスーツを着て
彼女の手作り弁当をもって家を出て

約束の8時前には現場につきました。

そこにはすでに
先輩が待っていたので、
自己紹介をし

「なにをすればよいでしょうか?」と伝えると、
「聞いてねーのかよ。これつけるんだよ!」
と、ソーラーパネルを渡されました。

出社初日には、
ソーラーパネル取り付け作業が
待っていたのです。

一瞬
「え、なんで?」
「やったことないけど大丈夫かな?」

と不安になりましたが、

早速、彼女に買ってもらった
スーツを脱いで屋根に上がると
取り付け作業が始まります。

その日は風が強く
屋根から落ちないように
作業するのが精一杯だったのですが、
なんとか夕方の5時には
作業が終わりました。

それから2時間かけて会社に戻り
ヨレヨレのスーツで
皆さんに挨拶をし、
20時からテレアポのため
電話をかけ始めました。

話す内容については
何も教えられないまま
「とりあえず見て学んでやってみて」

と言われたので、
見よう見まねでやったのですが
当然、契約が取れるはずはありません。

それどころか
いきなり電話をかけてこられた
相手に激怒されるばかり。

まあまともに営業すらできない状態で
夜遅くに電話をかけるのも
申し訳なかったですし
怒られるのも当然なのですが…

年下の先輩社員には

「なんで一件も
 アポとれねーんだよ!
 もう今日は帰れ!」

と怒られながら
23時に退社しました。

家に帰ると彼女が待っていてくれて
「遅かったね―!」
と一言。

そしてヨレヨレになったスーツと
私の顔を見るなり
「大丈夫?何かあった?」
と優しく声をかけてくれました。

私はその日にあったことを
全て彼女に話したのですが
彼女は

「辛かったらもうやめて
 他の会社探しなよ。」

といってくれたのです。

その言葉に

「やっと決まった会社を
 逃げるように辞めたくない」

といったのですが、
彼女はそれでも

「体壊したら、何のために
 働いてるかわからないよ。

 そんな姿見たくないから、
 お願いだから
 もうその会社は辞めて。」

と泣きながら話してくれました。

その姿を見て、彼女の優しさと
自分の不甲斐なさに
涙が出てきました。

2人で1時間、泣きました。

このとき私の無力さや頼りなさが
本当に嫌になりました。

でも、何をすればいいのか
わからない状態でした。

■結婚と出産

それから毎日のように面接を繰り返し
1ヶ月後には違う会社に
転職が決まりました。

その会社は新聞会社の子会社で
記事をホームページに
貼り付けるという
単純な仕事でしたが

「やっとこれで
 彼女にも安心してもらえる。
 彼女のためにも頑張ろう!!」

という気持ちで働き始めました。

ここでは同僚も良い方々ばかりで
とても働きやすく

美容師しか経験がなく
前職を1日でやめてしまった私を
働かせてくれたことに感謝しています。

そしてこの会社で働き始めた頃
彼女から

「大切な話があるんだけど。」

と言われ久しぶりに
正座で向き合いました。

私はもしかしたら…

と思っていたのですが、
その想像通り子供を授かりました。

彼女はとても不安そうな顔で
私を見ていましたが、私が

「子供を授かってくれてありがとう。
 君たち2人を一生守っていくから
 結婚してください。」

と答えると
涙を流しながら喜んでくれました。

私には
出来過ぎた彼女だと思うし、
人としても尊敬できる
私の人生に欠かせない存在ですから

当然嬉しかったですし
絶対に幸せにすると決心しました。

これまでの人生でも
「やろう!」
と決めたことはありましたが
どれも中途半端でした。

これが私の人生の中ではじめて
本当の意味での決断だったと
思ってます。

そして、これを機に結婚し
彼女は出産のために
美容師を退職したのです。

これまでは
彼女の給料+私の給料で
生活していたのですが、
これからは私の給料だけで
生活しなければなりません。

私の年収は271万円。

といっても
これは額面なので
手取りは約210万円。

毎月の生活費は、17万円ほどです。

彼女の給料は30万円以上だったので
これまでの3分の1程度の金額で
生活しなければなりませんでした。

色々な節約をしました。

そして給料が上がるまで
一生懸命頑張ろうと思い
働いたのですが…

この続きは
『シンプル物販の教科書』の
自己紹介ページに書いたとおりです。

シンプル物販の教科書

自分の生い立ちを
文字にしてみると
本当にダメな人生で
色々な人に迷惑をかけてますね汗

ただ、これまで
何一つ成し遂げられなかった私が
やっと手に入れられたのが
物販での結果です。

もちろんこれは私だけの力ではなく
私を支えてくれた妻や
私に物販を教えてくれた方

そしてキレイ事のようですが
これまでの私の人生に関わった
全ての方のおかげだと思ってます。

おかげさまで
こんな私でも人生を変えられました。

だからこそ、
次はあなたに人生を変えてもらう
番だと思ってます。

それでは本日は、
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